言いたい事はいろいろあるんだけど、
それそのものを言葉や文字でズバリ言っちゃうと、俺の立場が危うくなる。
それに反する考えを持ってる人にNOと言う事になるわけで、露骨に反感を買う。
俺はまだ嫌われるのが怖い。
批判されたとしてもほどほどまでしか耐えられない。
それにインターネットという媒体がまた怖い。
インターネットは一方通行の連続だ。
通じ合ってるようで全然通じ合ってないから、一度否定的に見られてしまうと
その溝を修復するのがものすごく難しい。
とことん嫌いなもののイメージしか芽生えなくなる。
実社会とはそこが全然違う。
俺は昔、みんなもよく知ってる某サイトで叩かれた事がある。その発端は誰かが俺のサイトを善意から紹介した際に、コメントに書かれていた言葉のごく細かなニュアンスから批判的意見が増徴し、さらに俺を名を騙った書き込みが油に火を注ぎ、かなり収拾困難な事になっていくというものだった。
俺は思春期に皮膚疾患や神経過敏で精神的に辛い状況にあり引きこもり生活をしていた所から当時心機一転して、自分を励まし学校へ行きバイトを始めた時期だったのもあって、思わぬ場所で自分が中傷されている事を知りすごく落ち込んだ。
俺は一切無介入に徹する事で自分の尊厳は守った。
匿名の数の暴力の前では個人はただ無力だ。
そんな経験もあるのでネットで批判される怖さはよく分かってる。
つまりネットで何か反感を買う可能性のある発言や表現をすることへのリスクの高さも承知だ。
でも俺は今ネット上の出来事に対しても実社会に対しても言いたいことはいくらでもある。
自分の不安も人にわかってもらいたい。
人の不安もわかる努力はしている。
俺は絵を描くという行為をトゲを孕んだものを包むオブラートとして使っているんだろうか。
文字ではなく絵であるから見る側にはいろんな解釈の余地が残される。
そこでガス抜きできる。
それはある意味発信者である俺自身に問われる責任に対する逃げとも言える。
しかし俺という個人の能力を使って広く発信できる手段でもある。
個人の耐久力でどれほどのものを発信できるだろうかということだ。
攻撃力が高ければいいってものではないのかもしれない。
だめだだめだ。また自分に優しい結論に落ち着こうと誘惑してる俺がいる。
ひとつ言えるのは、間違いなく覚悟がいるのと、決断をするべきだと思う。が、今その距離を調整しているところだ。
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