2009年5月8日金曜日

記憶棒が壊れた

今日学校で、俺の某作品を見て
「気持ち悪い、ここまで直視に耐えられない絵を今までに見た事ない」と嫌悪感を感じる旨を伝えられ全力で拒否られたんだけど
こんなかんじでやっていこうと思ってます
でも俺は気持ち悪がらせようとして描いているわけではなく
自分自身を偽り無く投射することだけを目的として描いたので
即ち自分自身が拒否られたという事であり少しショックでもあった
しかし好き嫌いは別としてもそこまで拒絶されるという事は
絵に込めたパワーがなにかしら伝わったという事なのであれば
それに関しては喜べる反応だったのかもしれない
でわでわ

3 件のコメント:

よじろー さんのコメント...

見たいっすね~!

前の日記であるように、和隆氏のエネルギー源?が不快感であるなら、ダイレクトな反応じゃないですか!

不快感は美だと誇ってください!笑

ピンクの紳士 さんのコメント...

「そこまで拒絶されるという事は絵に込めたパワーがなにかしら伝わった」っていう部分に共感。
感じ方は人それぞれだから、その人みたいに「気持ち悪い」って言う人もいれば、もしかしたら「気持ち良い」っていう人もいるかもしれないけど、どういう反応であれ見た人間にそれだけの影響を及ぼしたのならそれはスゴいことだと思うw

その絵、是非とも見てみたい・・・。
いや、見せてください!!1

物体Z さんのコメント...

「今まで見たことない」と言わしめるくらいだからどれ程のものなのだろうかと期待を煽ってしまったかもしれないけど多分最近見たことあるあれです。
そこまで言われるものだとは思ってなかったので俺もちょっと驚きました。
でもどんどん製作していこうと思うので楽しみにしてもらえるようにがんばります。

>よじろーさん
コメントうれしいです。
書いた後からこの日記を読み返して気付いた事ではあるんだけど、自分自身を描いたというよりは自分自身の感じている(いろんなわだかまりを感じてしまう目を背けたくなる)世界、その今を描いたというものなので、実際に目を背けたくなられたという事は出力はうまくいったのかなあと思います。


>ピンクくん
俺が落書き帳に書いている雑文にもこのへんの事をこないだ書いていたんだけど、自分の考えている事を、どこにもしっくり収まりきらない歪みや軋みのようなもの、なにかモヤモヤと残るものとしてパックするということが俺の製作におけるアイデンティティになりつつあるのでそういうものは意識してるんだと思う。
前は絵には合理性とかスタイリッシュ性を求めていて、そうでないものはあまり好みじゃなかったんだけど、今はむしろ曖昧なものこそ惹かれる。
それは妥協による曖昧さではなくて突き詰めていこうとする今をパックした曖昧さ