最近のコト。
卒業制作の作業前にいろいろ本を買ったんだけど,作業にひと区切り着いたのでようやく消化しています。
ドグラ・マグラ
こないだレンタルビデオ屋に行ったときに映画版のドグラ・マグラがあったので借りて来たんだけど,まだ原作の小説を冒頭部分しか読めていなかったので,読んでる。
途中なのでまだどういう作品であるかという判断を下すには早計なのでひとまず感触だけ。
情景をイメージしやすい映像的でありつつも体感的な文法で非常にわかり易いし,純粋に小説としても面白い。
「地球表面は狂人の一大解放治療場」の全人類キチガイ説なんていうくだりなどまさに同感の極みだ。
私事だが今まで自己分析は自分の思考の範疇だけで行って来たけど,この作品を通して学術的な見地からの解釈を与えられてけっこー勉強にもなってる。
その手の専門書もいくつか買ってあるんだけど,外的要因やら啓蒙から自分が掘り返されるのは怖いのでいざ読むとなると勇気がいる。
けど,「そうそう,まさにそう,なるほど,」って思いながら共感の範疇や延長で小説やら専門書やら読んでても,どうやら書店の棚にあれだけの数の書籍が埋め尽くされてることから察するに,未だに誰も満足し得る答えを見出すには至っていないように思えることからして,
「これさえ読めば,執筆すれば全てに納得がいって,もう次は必要ない」なんてものがないとわかりきった上でまたなぞるというのはアホらしい一時的な慰めにも思える。
なにもかもがどうでもよくなるのが一番な気もする。
純粋で文明的なクリエイティビティーはその先にあるのだろうかとも考える。
R62号の発明・鉛の卵
ひとまずR62号の発明だけ読んだ。
世界観は共感できるし好きなんだけど安部工房にしてはオチが俗っぽいと思った。
岩井俊二初期作品集(2)
マリア-結末では「妊娠」や「出産」,「母」という存在が偉大で崇高なもののように感じたが,それは,この作品では性行為や授子願望といった大人の一身上における自己補完のための欲求が,その結果である妊娠・出産とは切離されていることに因って「命を産み出す」という営み自体が純化されているためだと思い返した。
なのでまだ消化しきれてない。
蟹缶-コメディタッチで小話として面白い作品。
日常生活の中からの小さな事件を諧謔的に切り取ってあくまでも庶民的な日常風景の枠の中で膨らませ,テンポよく見せる作風は観てて小気味良い。
ホムンクルス
9巻まで読んだ。ゾクゾクする。自分自身も抉られてるような感じ。
ねじ式(映画版)
つげ義春の短編作品を色々くっつけて,いっこに纏めた話。
原作であるつげ義春の漫画はアートなので,監督独自の解釈や意匠が施されるとつげの世界が崩壊するため映像化って難しいんじゃないかというか,成立するのか,どういう意味があるのかと思っていた。
観た感想としてはこれはこれで思ってたよりは悪くなかったんだが,
仕方ないのかもしれないがやっぱまんまなぞってるだけ感はある。セリフが上滑りしてるというか。
映像作品としては珍妙な映画のポジションとして面白いと思うんだけど,やっぱ映画化自体にどういう目的があるのかがよくわからない。
まぁあれを映像化したらどうなんの?っていう好奇心がかなりそそられたのでガッカリする出来でなかっただけでもすごいのかもしれない。BGMはいらんとおもったけど。
ロマンスポルノ臭が強めだった。
着信アリ
たまにはカジュアルに観て楽しめる映画を借りようってことで借りた。が
つ…つまんねーーーっ
まず主演の柴崎コウの演技が下手。
んで内容はリングのモロパクリで劣化版。展開も読める。
親の虐待がキーワードになってるようだけど物語に説得力を与えるための記号として取り上げ,また悲壮感を与えるパーツとして事柄の表面上をなぞっているにすぎないため,人の厚みを出す事には繋がっておらず安直で原作者及び監督の浅はかさを覚えた。
映画版「殺し屋1」の監督と同一人物らしいが,殺し屋1も残虐性の再現度こそ高かったものの人間の描写は原作に遥かに劣っていて単なるスプラッター映画だった。
垣原の魅力や人間的な芯は原作を知らない人には全く伝わらなかったろうし,浅野忠信自体の力に助けられていた感が強い。
大人しくVシネマでも撮っとけばいいのにと思った。
ていうか着信アリは原作者が悪いのかな。秋元康か。
金に魂売ってるって濱本君が言ってたな。なるほど。
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