2009年4月27日月曜日

批判の難しさ

批判という行為を考えてみると自分の意識をしっかり自覚しておく必要がある事に気づく。
批判する事の方が認める事より簡単ということはしょっちゅうある。
批判したくなる理由は俺自身の弱さ故だったりすることはしょっちゅうある。
批判するという行為は自分の体裁を保ちつつも自分の弱さを守るための安易な手段になりえる。
物を判断する時その事は自覚しておかなきゃいけない。
じゃないとただの癇癪持ちという事になる。

2 件のコメント:

宮崎 さんのコメント...

あーわかります。この日記。
自分のコメントがちょっとズレてる気もするけどけどコメントしよっw

批判は今まで見てなかったことに気付いたりだとか、それを行うことで何かしら発展性を感じるものでないと魅力を感じないですよね。これは自分の場合ですけど。

批判するときの内容や態度でその人がどういう人か垣間見えるときは結構あるし。
批判する時はその言葉が自分にもそのまま帰ってくるし。

その辺のこともあって、自分はなるべく周りのものごとを認めるようにして批判は口にしないように意識しています。
安易に座して妥協している可能性もあることを考えるとそれはそれで問題があるのでしょうが。

どっちにせよその人そのものの意識が現れちゃうので一筋縄じゃいかないですよねー。

一つ確実なのは、和隆さんの論点や批判している視点は今の自分にとってかなり刺激的ということです。
日記楽しみにしてますっ。

物体Z さんのコメント...

>批判する時はその言葉が自分にもそのまま帰ってくるし。
そうそう。でもそれを見れてない場合も往々にしてあるよね。
あと批判は角が立つからそれなりの覚悟もいる。
俺はけっこうなんとなくで言っちゃう事もあるだけどw
日記はあんまり見る側の人の事考えられてないかもなー。
自分が言ったことに対してきかれれば答えるけど、見た人がどう感じるかっていうところまでは配慮できてない。
自分自身の中の一時的な迷いとか思い込みだったりもあるから。
なのであまり深入りせずに眺めてくれるとありがたいです。